【高山寺とは】
京都市右京区栂尾(とがのお)に位置する真言宗系の寺院である。 正式には栂尾山高山寺。奈良時代の774年に開かれたとされるが、明恵上人が鎌倉時代の1206年に後鳥羽上皇からこの地を賜り、華厳宗の道場として中興したことで現在の姿の礎が築かれた。1994年にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素の一つとして登録されている。
京都市街から北西へ約15キロ、三尾(さんび)と呼ばれる山深い渓谷に抱かれた静寂の地にある。 杉や紅葉に囲まれた境内は四季折々に美しく、特に秋の紅葉は京都屈指の名所として知られる。この山中の静けさと自然の豊かさが、明恵の瞑想と夢の世界を育んだ環境である。
【高山寺と明恵の夢の関係】
高山寺は文字通り「明恵が夢を見た場所」である。 明恵はこの山の中で座禅を組み、樹上で瞑想し(「樹上坐禅」として有名)、夜は夢を見て朝に記録するという日々を送った。高山寺の自然――松の梢を渡る風、谷川のせせらぎ、月光に照らされる山肌――は、明恵の夢の背景としてたびたび登場する。
寺自体が明恵の精神世界の物質化ともいえる。 明恵は高山寺を華厳経が説く理想世界の地上における実現として構想した。境内の配置、建物の名称、祀られる仏像のすべてに華厳の教えが反映されており、明恵が覚醒時に見た「夢」――理想世界のヴィジョン――が空間として具現化されている。
【高山寺に残る明恵の遺産】
◆ 『鳥獣人物戯画』
日本で最も有名な絵巻物の一つであり、「日本最古の漫画」とも呼ばれる国宝である。 擬人化されたカエル、ウサギ、猿などが遊び戯れる甲巻が特に有名だが、全四巻から成る。作者は伝統的に鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)とされてきたが確証はなく、制作年代も巻によって異なる(12世紀〜13世紀)。
明恵の時代には既に高山寺に伝来していたと考えられている。 明恵自身が制作に関わったという直接の証拠はないが、この絵巻が高山寺に伝わってきたこと自体が、寺の豊かな文化的環境を物語っている。動物たちが人間のように振る舞うその自由奔放な世界観は、明恵が大切にした自然との親密な関係とどこかで響き合うものがある。
◆ 「日本最古の茶園」
明恵は栄西から茶の種を贈られ、高山寺の境内に日本で最初の茶園を開いたとされている。 栄西が中国から持ち帰った茶は、当初は薬として珍重されたが、明恵がこれを栂尾に植えたことが日本における茶の栽培の始まりとなったと伝えられる。ここで育った茶が宇治へ移され、やがて宇治茶の源流となったという伝承もある。
「栂尾の茶」は最上の茶として「本茶」と呼ばれた。 鎌倉時代の茶の品評会では、栂尾産の茶だけが「本茶」とされ、それ以外はすべて「非茶」と呼ばれたほどの名声を誇った。明恵にとって茶は修行中の覚醒を助けるものであり、夢を記録する早朝の静けさの中で、一杯の茶が飲まれていた情景を想像することもできる。
◆ 明恵上人樹上坐禅像
松の木の上で坐禅を組む明恵の姿を描いた肖像画は、高山寺を象徴する画像として広く知られている。 国宝に指定されているこの絵には、山中の松の枝に腰かけて瞑想する明恵の姿が描かれ、周囲には小鳥やリスが遊んでいる。自然と一体となった修行者の理想像であり、明恵の精神世界を一枚の絵に凝縮したものといえる。
この「樹上坐禅」は明恵が実際に行った修行法である。 明恵は建物の中だけでなく、山中の岩の上、樹の上、月光の下など、自然の中で瞑想することを好んだ。覚醒と夢、人間と自然、この世とあの世の境界が溶けるような修行空間を、明恵は高山寺の山中に見出していた。
【高山寺を訪ねるということ】
現在も高山寺は訪問可能であり、明恵が夢を記録した空気を体感できる場所である。 京都の観光の喧噪から離れた山中にあり、バスで約1時間。石水院(国宝)から見渡す山の緑、谷を流れる清滝川の音は、800年前に明恵が浸っていた世界とそう大きくは変わっていないだろう。
秋の紅葉期を除けば、訪れる人は比較的少ない。 その静けさこそが高山寺の本質であり、明恵が夢を育んだ環境そのものである。夢サイトの読者に対しては、「明恵が夢を見た場所に身を置く」という体験的なアプローチとして、訪問を勧めるのも一つの投稿の形になりうる。