「夢の内容は文化によって違うのだろうか?」——夢に興味を持つと、一度は浮かぶ疑問ではないでしょうか。実はこのテーマ、夢研究の世界では半世紀以上の蓄積がある比較文化研究の定番分野です。今回は、西洋と東洋の夢を比べた代表的な研究を紹介します。
すべての出発点:夢を「数える」方法の発明
文化を比較するには、まず夢を客観的に測る物差しが必要です。その物差しを作ったのが、米国の心理学者 Calvin Hall と Robert Van de Castle です。1960年代に開発された「Hall–Van de Castle システム」は、夢に登場する人物の数や種類、攻撃的・友好的なやりとり、感情の種類などを数値化するコーディング法で、これによって「国Aの夢」と「国Bの夢」を統計的に比べられるようになりました。
この方法論を引き継いだ G. William Domhoff は、世界各地の夢報告を分析した結果を次のようにまとめています。夢の内容は文化を超えて意外なほど似ている。そして差が出る部分は、その人の日常生活や関心をそのまま反映している——いわゆる「継続性仮説(continuity hypothesis)」です。つまり「東洋人だから根本的に違う夢を見る」のではなく、日常の人間関係や環境の違いが、そのまま夢に映り込むという見方です。
日米比較:登場人物と攻撃性に表れる差
では具体的にどんな差が見つかったのか。1980年代には、山中康裕らのグループが日本の大学生の夢を Hall–Van de Castle 法で分析し、アメリカの標準データ(norm)と比較した研究があります。報告されている違いとしては、攻撃性の表れ方(直接的な身体的攻撃か、間接的なものか)や、登場人物の構成——知人が多いか、見知らぬ人が多いか——などに文化差が見られたとされています。
「典型的な夢」の頻度を比べる
もうひとつのアプローチが、「落ちる夢」「追われる夢」「歯が抜ける夢」「人前で裸になる夢」といった典型夢(typical dreams)の出現頻度を文化間で比べる方法です。元になった典型夢リストはカナダの Tore Nielsen らの研究で整備されました。
これを使った東洋側の代表的研究者が、香港の Calvin Kai-Ching Yu です。中国語圏のサンプルと欧米のデータを比較した一連の研究では、多くの典型夢は共通して見られる一方、たとえば「人前で裸になる夢」系は欧米サンプルより出現頻度が低い、といった違いが指摘されています。羞恥や自己呈示をめぐる文化差が夢に反映されている可能性を考えると、なかなか示唆的です。
夢の「中身」ではなく「意味づけ」の文化差
夢そのものではなく、夢をどう受け止めるかに注目した研究もあります。Carey Morewedge と Michael Norton(2009年)は、アメリカ・韓国・インドの3カ国で調査を行い、どの文化でも多くの人が「夢には意味がある」と信じている一方で、その解釈の仕方や、夢を現実の行動の判断材料にする度合いには文化差があることを示しました。
さらに人類学の分野では、Barbara Tedlock らが、夢を人に語る習慣(dream sharing)や夢が持つ社会的役割が文化によって大きく異なることを研究しています。「夢を誰に、どう語るか」自体が文化の産物だという視点は、夢を語り合うこのフォーラムにとっても面白い論点かもしれません。
日本国内の研究
日本でも夢の実証研究は続いています。岡田斉氏による夢想起頻度(どのくらいの頻度で夢を覚えているか)の大規模調査や、松田英子氏による夢と精神的健康・悪夢に関する研究などが知られています。
まとめ
夢の内容は文化を超えてかなり共通している。ただし差が出る部分は日常生活の違いを反映する(継続性仮説)
登場人物の構成や攻撃性の表れ方、一部の典型夢の頻度には東西で違いが報告されている
夢の「中身」だけでなく、「夢に意味を見いだすか」「夢を人に語るか」にも文化差がある
みなさんはどう感じますか? 海外で暮らした経験のある方、夢の見え方や夢の話をする習慣が変わったと感じたことはありますか? ぜひコメントで聞かせてください。
主な参考研究者:Calvin Hall & Robert Van de Castle(夢内容分析法)、G. William Domhoff(継続性仮説)、Tore Nielsen(典型夢リスト)、Calvin Kai-Ching Yu(中国語圏の典型夢研究)、Morewedge & Norton (2009)(夢の意味づけの国際比較)、Barbara Tedlock(夢の人類学)、山中康裕/岡田斉/松田英子(日本の研究)