私たちが夜見る夢そのものは、本来は言葉を必要としない「純粋なイメージの奔流」です。視覚や感情、理屈を超えた感覚がドロドロと混ざり合った、きわめて非言語的な世界です。
しかし、それを言葉という光で照らした瞬間に、夢は急激にその輪郭を鮮明にし、豊かな意味を持ち始めます。今回の旅を振り返ってみても、まさにそのダイナミズムが歴史や文学を作ってきたのだと気付かされます。
◆ 言葉が夢に「形」を与える
夢のイメージは、朝起きて放っておけば、まるで水に描いた絵のように消えてしまいます。しかし、私たちがそれを「こんな夢を見た」と言葉にした瞬間、あるいは古代の夢解きが「それはこういう兆しだ」と言語化した瞬間に、実体のなかった幻が、現実を動かす「運命」や「物語」へと結晶化します。言葉は、消えゆく夢をこの世に繋ぎ止めるための「器」なのです。
◆ 言葉が夢の「深み」を広げる
そして、語源の「幻影」から、近代の「理想・将来の希望」へと意味を広げた英語の dream や、言霊を宿して売買された大和言葉の ゆめ、文豪たちが悪夢の不条理を限界まで記述した文学作品のように、人間は言葉を使って「夢」という概念そのものをどんどん耕し、豊かにしてきました。言葉があるからこそ、私たちは他人の夢に共感し、自分の無意識の深淵を覗き込むことができます。
「言葉のない、純粋なイメージの世界」である夢と、「意味を決定づける」言葉。
この一見、相反する二つが交わる境界線にこそ、人間のクリエイティビティや文化の面白さがすべて詰まっている気がします。